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ガネーシャ神についてQ&A

灯明

複数の神様を何柱も一緒にお奉りしてプージャーしてもよいでしょうか?(神様同士が喧嘩することはないでしょうか?)

インドでは、むしろ単一の神様だけをお奉りすることは少なく、普通、自分が主に帰依している神様の像を中心に、複数の神像を設置し、サイコロのめのように、全部で5柱の神様をまつることが多いようです。

必ずしも、われわれ日本人が、これと同じ方法をとる必要はありませんが、少なくとも、複数の神様をお奉りしても、まったく問題がないということは言えるでしょう。

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灯明

ガネーシャ神を含む複数の神様を一緒に奉っている場合、どの神様から最初に礼拝するべきでしょうか?

ヒンドゥーの伝統によると、どの神に帰依している場合でも、一番最初にガネーシャ神に対して礼拝し、その後、他の神を礼拝するという順序になっています。

そのため、インドの寺院では、どの神様をまつる寺院でも、入り口に一番近い場所に、ガネーシャ神がまつられていることが多いようです。

ガネーシャ神が最初にまつられる理由は、ヒンドゥーの聖典の中で、そのようにシヴァ神が指示しているからです。

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灯明

ガネーシャ神に対するマントラ(真言)とバジャン(宗教歌)では、どちらのほうが良いのでしょうか?

どちらにも利点があります。バジャンは、神を讃える歌で、マントラよりも、親しみやすいというメリットがあります。バジャンは、サンスクリット語か、ヒンディー語のことが多いですが、その歌詞の内容を理解していれば、何度もその歌を聴いたり、歌ううちに、その神様のことが意識に深く根付くようになります。

マントラでは、一定のリズムで、ひたすら神の名前を唱えます。マントラは、バジャンに比べ、より効果的に潜在意識に神聖な情報を根付かせることができます。正確な発音でマントラを唱えることができれば、効果はより高くなりますが、過度に神経質になる必要はありません。なぜなら神聖な言葉(神様の名前など)を繰り返すこと自体が、大変な功徳になるからです。

悪口を言ったり、意味のない冗談などを言ったり、うわさ話をしたりすることは、悪いカルマになります。逆に、マントラを唱えることは、神を讃える言葉を繰り返すことですから、それが、良いカルマになることは当然のことと言えるでしょう。

邪念を持たずにガネーシャ神のマントラを多くの回数唱えることによって、かならずカルマは良い方向へ向かいます。論より証拠です。まずはマントラの実践をおすすめします。

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灯明

ガネーシャ神の像は、質の良いものほど、効果が高いのでしょうか?

白檀ガネーシャ神像
精巧なガネーシャ神の彫刻

ガネーシャ神の身体の各部分、持ち物、乗り物のネズミなどは、象徴として、大切な意味があり、それを見て観想することにより、その象徴が表している、良い要素が、無意識のうちに、自分の内側に備わってくるようになります。そして、一般的に、高価なガネーシャ神の像は、細工が精巧にできていますから、細部にいたるまで、観想しやすく、その効果が出やすいという第一の利点があります。

次に、精巧にできたガネーシャ神の像は、表情が素晴らしく、威厳に満ちているため、帰依の心をもちやすいという第二の利点があります。

この二つの理由により、より精巧に作られた、質の高いガネーシャ神の像は効果が高いと言えます。高級なガネーシャ神の像を購入するだけで、開運されるというわけではありません。

しかし、もっとも大切なことは、帰依の心を込めて礼拝すること、そして、ガネーシャ神の像の細部にいたるまで観想することです。 そのため、もし像に表現されていない部分をイメージ力によって補って観想し、帰依の心を込めて礼拝することができれば、どのガネーシャ神の像を礼拝しても、同様の効果を得ることができるはずです。

※「観想」とは、心の中に、対象とするもの(ここではガネーシャ神)を思い描くことです。

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灯明

私はキリスト教を信仰しているのですが、キリスト教を信仰しながら、ガネーシャ神への礼拝を行っても良いのでしょうか?

座っているガネーシャ神

ガネーシャ神は、太っ腹の神様ですから、キリスト教や他の宗教を信仰していても、あるいは、特定の宗教を信仰していなくても、大丈夫です。

ガネーシャ神の大きなお腹は、いろんな要求を聞き入れることのできる器の大きさの象徴でもあるのです。

ちなみに、インドでは、いろんな宗教を信仰している人たちが、いろんな形で、ガネーシャ神を礼拝しています。偶像崇拝を禁止しているイスラム教徒でさえ、ガネーシャ神を礼拝している人がいるくらいです。

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灯明

ガネーシャ神に智慧と力がある(かもしれない)ことは理解できるのですが、像と神は別のものだと思います。神そのものではなく、あえて偶像崇拝をする意味はあるのでしょうか?

ガネーシャ神

一般的に、宇宙の智慧や、障害を取り除き成功へ導く力といった、抽象的な概念について瞑想をし、その恩恵を受けることはとても難しいものです。

一方、ガネーシャ神は、神秘的な宇宙の智慧を体現した神であり、すべての障害を取り除き成功へ導く力をもつ神です。このガネーシャ神の像を目の前に置き、その細部を観想することにより、その細部が象徴しているガネーシャ神の良い要素が、無意識のうちに、自分の内側に備わるようになるという意味合いがあります。

その結果、ガネーシャ神が司っている、神秘的な宇宙の智慧や、すべての障害を取り除き成功へ導く力の恩恵を受けることができるようになってくると解釈されるのです。

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